太平洋戦争はまだ終わっていない! 鎮魂の辞

  • 4 年前
令和元年(2019年)8月15日現在、74年前に国の命令で戦争に駆り出され27歳の若さ
で戦死を遂げた父の犠牲家族の生き証人=戦争遺児で75歳になり余生僅かな北藤勇 が
製作した「A級戦犯が 靖国神社に合祀されたままで、太平洋戦争は未だ、終わって
いない」のタイトルで父の無念を悼み、私の 悲痛な思いを動画にしました。!.

GHQによる東京裁判は不合理で容認できないと主張する多くの戦争賛美者が存在
しますが彼等は戦争の犠牲者としては関係のない人々であり夫や父を戦争で失った
被害者でもありません。無責任で事実と異なる虚偽の「戦争を美化する」ストーリー
で日本国民を再び戦争へと洗脳し導く戦犯の亡霊たちに取り付かれた戦争を趣味とし
賛美する輩なのです。 
    
百歩譲って戦争開始から3~4ケ月の行動は容認したとしても問題はミッドウエイから
ガダルカナルの完全なる敗戦から兵士を撤退させず補給路を断たれ飢えから戦友の死体
を食し、ついには彼等も餓死した事実や情報を無視し昭和天皇の玉音放送までの2~3
年間290万人の兵士と30万人の海外の兵士と市民を巻き添えにして大本営発表の日本軍
の大勝利報道の連続のウソと沖縄島民を盾とし本土決戦で一億総玉砕を鼓舞し莫大な
数の被災者を産出したにもかかわらず天皇は度重なる御前会議での経過を熟知し
永野修身(おさみ)連合艦隊司令長官等の反戦派の奉上を軽視し強硬派の意見を重視
した事実は闇に葬られた。

又、1945年2月14日に近衛文麿元首相(終戦後、戦犯指名により 自殺)は敗戦を
確信して天皇に上奏文を出し、敗北による早期終結を決断する ように求めたが
昭和天皇は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作って から」の方が よいと
判断、これを拒否したという。

遂には広島・長崎の原爆まで最悪の状況に至るまで 皇族堅持と 滅亡を回避する為に
敗戦確実を確信しながら戦争を長引かせ早期の終戦 決断を怠たった軍幹部のA級戦犯
並びに日本国最高司令官としての責任を問われ戦争犯罪者として処分を 恐れ例え一部の
将校からの反乱の可能性があったとしても自らの命の交換で「鶴の一声」の 「終戦の
聖断」を下す事を 躊躇し最後の最後まで引き延ばし作戦を演じた昭和天皇に微塵の罪も
ないとの当時の政府と軍幹部の共同の昭和天皇に対する忖度のフェイク説により
日本国民は騙され広報と暗示で 洗脳され続け時の政府と軍幹部は大本営的発表を
相変わらず継続し見事に大成功をおさめて 以来現在でも天皇制を心から崇拝する
国民性に迄祭り上げた国家による無責任たる策略と陰謀は連綿と受け継がれて
今でも多くのの日本国民は踊らされている事に 国民は無頓着で
気が付いていません。